LGBTとの出会い

LGBTをご存知でしょうか。

LGBT(エル・ジー・ビー・ティー)または GLBT(ジー・エル・ビー・ティー)とは、女性同性愛者(レズビアン、Lesbian)、男性同性愛者(ゲイ、Gay)、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual)、そして性同一性障害含む性別越境者など(トランスジェンダー、Transgender)の人々を意味する頭字語である。 LGBという頭文語は1980年代中期から使われ始め、Tを加えたLGBTという言葉は1990年代から現在まで使われ始めた。
 - ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/LGBT

Couchsurfingで招いた女性がLGBTでした。私たち夫婦にとって初めてのセクシャルマイノリティーとの出会いです。

とても素晴らしい人だったので、彼女の承諾を得て、彼女と過ごした3日間のことを記したいと思います。





以前は先入観の塊のような人間だった私。それを止めたのは50歳の時です。そのことははじめにや、付随するページをお読みになれば、事の次第がご理解ただけると思います。


ベルギーに住んでいた時に、ブリュッセルの中央駅の辺りをブラブラしていたら、カラフルな陽気な人たちに出会いました。その後、ニュースでそれらはゲイパレードだったことを知ります。

また、ベルリンを旅した時、またゲイパレードに会いました。


その後、オランダで同性婚が認められて、徐々に欧州で同性婚や事実婚などの、従来の婚姻制度にとらわれない風潮が世界に広がっていきました。

セクシャルマイノリティーについて、ちょっと変わっているとは思っていました。世の中が変わっていくんだなあと、日本ではまだ感じられなかったそんな空気を、欧州で一足先に肌で感じていました。


先日、米国でLGBTが法廷で認められて、世界中をあっと言わせました。そんな米国から彼女はやって来ました。

彼女はトランスジェンダーなのですが、そのことはCouchsurfingで彼女のプロフィールを読んだ時も、招待を送る時も、そして我が家に来る前にネットを通じてやり取りした時も全く知りませんでした。


レインボーカラーはLGBT支持しますのシルシ


彼女を我が家に招こうと思ったのは、そのプロフィールを読んだからです。実にユニークで、少し難解で、興味深いことがたくさん書いてありました。これは面白い。

彼女と出会った人たちが彼女の評価を残す「リファレンス」を読んでいくと、彼女の人となりがだんだん分かって来ました。これはきっと楽しい出会いになると直感しました。

女性であり、日本語がある程度喋れるのもポイントでした。今年は男性ばかりの客人が続いていたのと、英語が喋れない女房が時々話についてこれないのが残念だったからです。



その彼女がトランスジェンダーだと気づいたのは、彼女のFacebookのある日のコメントを読んだ時でした。

その内容は、以前、福島で英語の先生をやっていて、日本の女性と結婚して、娘さんがいて、しかしその後、奥様とは別れて、5年前にトランスジェンダーとして自らを解放し、米国のロングビーチに居を構えていること。そして、日本に墓参りに来て、日本での生活の可能性を確認する旅を今回しているということが書かれていました。


Facebookの自分の顔写真にLGBT指示のレインボーカラーを加えて、歓迎の意を伝えました。



そして7月の中頃、彼女は我が家にやって来ました。






そこから始まる、彼女とのノンストップトーキングは、私の人生に充実した2日半をもたらしてくれました。知性高く、知識豊富で、思考が深い。打てば応える、泉のように湧き出る、何と言って表現したらいいのか分かりませんが、とても初めて会ったとは思えない素晴らしい時間が繰り広げられました。

トランスジェンダーは彼女のキャラクターの一部であって、全部ではないという当たり前のことに気が付きました。そう、既成概念が壊される快感がやって来たのです。

人は自分とは違うもの、それもやや言うに憚られるものに出会った時には、それがことさら強調されてしまいますが、彼女との会話を重ねるうちに、私の中に残っていた既成概念は見事に粉砕され心地よい時間がやってきました。

それは障碍者のそれに似て、障害は不幸では無くて私の一部、性格の一部みたいなものという表現を、最近、前向きな障碍者が語るようになりました。NHKのEテレでバリバラという番組があります。午後7時というプライムタイムに放映される全然固くない楽しい番組で、出演する障碍者は実に生き生きとしていて、自らの障害を自分のものとして受け入れて、健常者以上に人生を楽しんでいます。そういう人たちを見ると、なんだか勇気というか、元気をもらった気がします。例えが適切でないかもしれませんが、もしかするとこれに近いのかもしれないなあと想像したりしました。



ちょっと話が逸れますが、欧米のイケてる男性の経営者をインタビューする女性リポーター(欧米人)が、出会う人出会う人みんなステキなのに、なぜかみんなゲイなの、と嘆くやら残念がるやらの記事をウエブで読みました。

日本では未だ一般的ではありませんが(いや、もう一般的なのかもしれませんが)、政治家や活動家、資産家や著名人が、特に知識人に多く、自らゲイであることをカミングアウトすることが既に日常茶飯事化している欧米。

Facebookは少し前から、ユーザーアイコンに自動的に虹色を重ねて公開できる「Let's Celebrate Pride」を公開して、Facebookの中はレインボーカラーのアイコンで賑やかになりました。

ニュースでも日本のセクシャルマイノリティは13人に一人と、高い割合で存在することを伝えています。



生物学的に考えれば、種を持続するメスが動物の基本です。種の多様性とコピー劣化を防ぐためにオスが突然変異的に発生し、それぞれの役割のもとにオスとメスが独自の遺伝子を高度化させていった極みが現在の人間という動物だと考えられます。

男女、この神秘の仕組みは完全に解明されている訳ではありませんが、私の調べた範囲では子供の性別は精子によって決まるようです。男女の産み分けを精子で行なわれていることでそれが分かります。卵子は基本的にメスつまりY染色体で、そこにY染色体精子かX染色体精子のどちらかが結合して妊娠9~11週間頃に男女に分かれるということらしいです。

遺伝子は人間の設計図であり、男女の各々からその設計図はDNAの螺旋として組み上がります。そのDNAが細胞分裂により体が完成していく段階で、様々な障害やコピーミス、突然変異が発生する。そういった過程のなかでLGBTが生れるのは不思議でも何でもないなと思います。



LGBTは隠されていました。今も隠されていると言えます。彼女も子供の頃に女の子の志向を示すと、母親からこっぴどく叱られたと言います。そんな彼女は、心の性と体の性が異なることに随分と苦しみ、イジメにあい、独り過ごすうちに沢山の本を読んだそうです。彼女の豊富な知識はその時に形作られたんだなあと、溢れる言葉の泉を目の前にして深く感じ入りました。

いまはっきりと言えます。LGBTは特別なことでは無くて、人間の性格の一部だということを。



彼女にはもう一つ特殊な性格があって、一度覚えたことが記憶から消えないという、私から見れば羨ましい能力を持っています。特定の日のことを言ってみてと言うと、その日のその時間の、風景から手元の数字まで、引き出しを開けるように思い出すことが出来るのだそうです。

50歳を過ぎて、3歩で忘れる正しい老化の過程にいる私から見れば、その能力の一部でもあればなあ、などと良いことばかり思い付くのですが、人生は良いことばかりじゃありません。嫌な記憶もついさっき起こった事のように思い出せてしまうのなら、それは苦しみも伴います。忘却は心に平安をもたらすと私は思っていますが、生まれてから今までに記憶が全て目の前に出てくるのだとすれば、空恐ろしいような気がします。


彼女は彼氏が居るカンボジアの島へ帰っていきました。そのあと彼氏の故郷のネパールへ渡って、下界と遮断して本を書くと言います。文化人類学に強い彼女の本が上梓される日を心待ちにしています。




また一段、バージョンアップした自分を発見できる喜びを与えてくれた彼女に感謝します。



ではでは@三川屋幾朗


参考:
三川屋幾朗ってどんな人? About me
ダブルインカムからシングルインカムへ
ダブルインカムからシングルインカムへ その2

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