2013年のボランティア活動を振り返る: Looking back volunteer work in 2013

今年は福島県の南相馬へ集中的に通いました。ここしか眼に入らなかったと言えます。

この1年も被災地に通って、嫌な事や嬉しいことがありました。














東京に住んでいると、東北の被災地は既にチェルノブイリ、或いは阪神大震災のように過去のものになっています。

現地ではいまだにクルマが転がっているなんて、だれが知ろうか、という感じです。


5月に東北被災地の復興の進度を確認したくて、青森から海岸線を南下する旅をして、各地の復興ぶりをつぶさに見てきました。地元の方には充分では無いでしょうが、私が好むガテン系ボランティアは、岩手県と宮城県では必要性は終わっていると感じました。

しかし、南相馬は違っていました。





なにか違う
その前にひとつ記しておきたいことがあります。北から順に南下して、被災地のひとつひとつで立ち止まって、実情をつぶさに見て、そして辿り着いたひとつの場所に南三陸町があります。2011年5月にボランティア活動を始めて、気仙沼と陸前高田へ通っていた時から、南三陸町は遅れてると、その地からやって来たボランティア仲間から伝え聞いていました。

宮城県のガテン系で、いまも活動しているボランティアを受け入れている南三陸町災害ボランティアセンターがあります。その実情を知りたくてボラセンへ行って、他の方々と一緒に作業に身を投じました。1日作業をしましたが、どうにもその活動の趣旨に賛同できず、1日で作業を切り上げて福島県の南相馬へ移動しました。



なぜ南三陸町でのボランティアが私の意に反していたのかは、個人的な感想です。実際に行って作業して頂ければ感じるかもしれません。念のために、あくまでも個人的な感想と断って言いますが、ボラセンのホスピタリティの欠如と、現場の作業の必要性に低さ、突き詰めれば、ボラセン存続のため、という感じがしたからです。

かの地には、以前からボラセンを経由しないで行くグループが多かったので、何故だろうと不思議に思っていましたが、その解は実際に作業して分かりました。そういう歪のようなものも、震災から2年後の被災地の現実なのだなと感じながら、実体験と共に見てきました。

これは批判でも何でもありません。単なる私の個人的感想です。実際にその地で1日作業をして感じた事実です。そう感じさせる環境がそこにあったということです。どの地でも理由があってイマを行っています。他の人が行けば、私とは違う感想を持つでしょう。それは自然です。

ブログは自分の考えを世に現すもの。違う意見があって、当然いいと思います。そういう意味で、反論は全く意味が無いことを、念入に付け加えておきます。


南相馬へ全力投入
さて、南相馬です。今年1年も南相馬へ通いました。ここは昨年の5月にやっと立ち入りができるようになったので、今日現在でも車が荒地にナンバー付きで放置されています。できること、やるべきことは山ほどあります。他の東北被災地と比べて段違いで取り残されている地域です。それは原発の放射能ゆえのこと。地震や津波での破壊は力技で復旧できても、放射能が残る、その放射能の影響力は誰も分からない。あるいは分かっていても言わない。放射能影響力が未定義であるがゆえに、被災地の線引きが難しいという背景があります。

ボランティアは何が出来るか、そして何のためにやるのか。

その答えはひとり一人違うし、違っていい。私の場合は一言で言って、自己満足です。そして被災地に寄り添う心を持ち続ける、そのふたつです。自分で満足するまでやる。それでいいと思っています。

私一人が出来ることは微々たるものです。でも同じ日本人として、被災地の方々に心を寄せて、常に忘れず、ことあるごとに被災地を訪れて自分の体をそこに投じる。何か贖罪の様に思われるかもしれませんが、そうではありません。


南相馬に南三陸町のような歪が無いかといえば、あります。それもハッキリとしたものが、あります。ですがそれはここでは語りたくありません。それは何かと問うのであれば、ご自身で南相馬を訪れていただきたい。人が二人居れば、利害関係が発生します。増して過酷な地では、それが増幅されやすい。被災地は人生の縮図だと痛感します。


自分で確認する、自分で判断する
私は実際に現地に足を運んで、この目で見て、聴いて、触って、話をして、動いて、そして感じたことしか信じません。他から聞いた事など信じません。

自分で確認して、自分で考え、自分で結論を出し、自分でアクションを起こす。これが私の基本原理です。だから他人から何を言われようが、全く、それはもう全く、気になりません。

例えば、私が「実際にその場に足を運んで見てきたのか」と尋ね、「はい、私もその場へ行ってきました」と答える人が目の前にいたとします。私と異なる感想を彼(または彼女)は述べるでしょう。各々感じ方や考え方は違います。私と真逆の感想を言うかもしれない。だから、私は自分で判断し、自分の感性を信じます。他は気にしないし、気にする必要もない。それは人生の無駄でしかない、と思っています。


沢山の出会いに恵まれた1年
嬉しいことに、南相馬での活動で沢山の方にお会いして、影響を受け、インスパイアーされ、自分のモチベーションが上がりました。それはこの1年間の活動の結果の確かな事実として、はっきりと言えます。そのことに、私は心から感謝しています。

ある意味、無垢な心で被災地にやってくる人達は、それぞれの人生を背負ってやってきます。若い人、歳を重ねた人、ボランティアに目覚めた人、仕事を辞めてきた人、人生に疲れた人、人生の起爆剤としてボランティアを思い立った人、もう様々な人達がやってきます。

一緒に汗を流しながら、寝食を共にしながら、その人に触れ、語り合い、その人生を垣間見る。そして私の生き方も伝える。利害関係が全く無いゆえに、ストンと腑に落ちる。そういう意味でも、被災地は人生の縮図です。

話は横にずれますが、今年は年の半分を旅の空で過ごしました。7カ国を訪ね、日本も鹿児島から北海道まで、地球一周分の距離を移動しました。元より旅が好きな私は、美しい風景、その先にある何か、そういう好奇心で旅を続けてきました。そして今年、年の半分も旅するようになった先に気付いたのは、人間が一番面白い、興味深いという結論です。どんなに貧しい場所でも、過酷な場所でも、人間は暮らしているし、ぜんぜん不幸では無い。すくなくとも私にはそう見えます。

1月のミャンマー

脱線ついでに、CouchsurfingというSNSに触れたいと思います。

世界では個人宅に宿泊して旅する人達が沢山居ます。私はそのホストを東京でやっているので、東京に戻っていると、世界中から宿泊リクエストが毎日届きます。そういう人達と我家で一緒に暮らして、様々なことを語り合って、お互いの国、文化、経験、その人自身を頭の中で味わって、知的好奇心を膨らませています。日本人とは全く違う価値観を持つ人達と接するのは実に楽しい。

人間が一番面白い、と私は思います。



話を元に戻します。そういう意味でボランティアは、私が一番興味深いと思う人間の、その生身の人生に触れることができる貴重な場所なのです。だから行かずには居られない。

そしてもうひとつ、南相馬へボランティアに通ってよかったと思うこと、それは現場作業のスキルが上がったということです。機材の使い方、安全の確保の仕方、被災された方や周囲への気配り、そしてチームワーク。優れたリーダーの下で作業すればそこから学び、そうで無い場合は陰で支える。目的はいかに被災地に寄り添えるか。その作業の経験の過程で沢山のことを、他の皆さんから学ばせていただきました。


謝辞
今年1年、南相馬でお会いした皆さんに心から感謝を述べたいとおもいます。
ありがとうございました。そして、また来年も宜しくお願いします。



ではでは@三河屋

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