常総市の水害ボランティアでリーダーをやって思ったこと

未曽有の洪水に見舞われた常総市の惨劇はテレビで誰もが知るものとなりました。

ちょうど我が家に滞在していたポルトガル人とウクライナ人は、日本と言う国がどれほど自然災害に見舞われるにかを実地で体験していきました。


今週は福島の南相馬ボランティアに行く予定でしたが、常総市のボランティアがシルバーウィーク以降減っているという報道に接して、予定を変えて常総市へ行ってきました。

リーダーをやってみて考えさせられることがありました。それは傾聴です。


常総市ではボランティアセンターから被災中心地のサテライトへバス移動して、そこから「現場」へ向かいます。

4人ごとにグループ分けされて、リーダーを自主的に選びます。60歳代のご夫婦と男性と一緒になり、皆さんリピーターですが、この水害が初めてのボランティアということでした。

私がリーダーを名乗り出て、ニーズ票を受け取り説明を聞いて、現場へ歩いて向かいました。ここまでは今までのどこのボラセンとも同じです。災害ボランティアのやり方が平準化されていることを示しています。

これはいいことです。やり方がまちまちだと、その説明をする、受けるだけで時間の無駄です。増してや、常総市では駐車場からのボラセンへの移動、受付、マッチング、現地での作業までに1時間半ほどの時間を要します。少しでも作業時間を増やしたいのは、ボランティアに参加した誰もが思うことでしょう。

さて現地へ着きました。床上30センチ程まで水に浸かった跡が残っています。写真は撮ってはいけません。既に今回で3回目の訪問です。平屋二間に台所、風呂、トイレがあるこじんまりとしたお宅で、床板は既に剥がされ、石灰が撒かれ、床板は屋外の好天下に干されていました。

家主さんの依頼者さんはご高齢の女性で、被災で混乱していて、この先どうしていいのか、何をやったらいいのか分からない、分からないと困ってらっしゃいました。

作業自体は、壁のカビをふき取り、屋内の掃除を完了して、依頼者さんにOKを頂いだのですが、問題は外に干してある床板でした。当日、翌日、翌々日は好天が見込まれましたが、4日目に雨の予報でした。板を見たところ乾燥には数日かかる感じです。

本日の作業としてはもうやることが無いので引き上げて次の現場へ行きたいのですが、外の床板を依頼者さんご自身が取り込んで雨を凌ぐということは、ご高齢であり体力的に不可能です。ボラセンに電話をして指示を仰ぐことにしました。

ボラセンからの指示は、継続にするということ、後日ボランティアをお送りして、板の取り込み作業をやるということで話しが纏まりました。家主さんにその由をご説明し、お昼になったので、その場で昼食をとることにしました。

傾聴ということ


狭い台所の椅子にポツンと座って途方に暮れている依頼者さん。他の3名のボランティアさんは
、広くない現場なので、家の裏で昼食を取りますと言います。私は依頼者さんが気になったので、その台所に座る場所を確保して、依頼者さんとお話しながらお昼にすることにしました。

お子さんは離れたところに住んでいるご様子です。罹災当時はご姉妹と近くの実家に身を寄せていたそうですが、避難所に移って、水が引いて、家に戻ったら大変なことになっていて、どうしたらいいのか分からなくて、避難所で相談するにも混乱していてよく分からなくて、上に下にと何度も階段を往復したけどダメで、途方に暮れていたら地域の議員さんが声を掛けてくれて、それでボランティアの依頼になったのだと教えてくれました。

罹災された当時の様子、避難したときのこと、避難先での生活、わけのわからない書類の提出方法、そして近況、食事をしながらひとつひとつ聞いていきます。

被災地では被災者さんは非日常的な起こった出来事を整理する時間が必要です。しかし現実は否応なく押し寄せてきます。不満や不安を吐き出したくても、周囲は同じ被災者であるため、被害の大小と深刻度の比較しか話すことがなくなってしまいます。それはあまり聞きたくない内容だったりします。

外から来た人間は聴いて吐き出してもらうことが出来ます。それを傾聴と言うそうですが、そういった経験を東北大震災の被災現場で何度も経験しました。すさまじい状況の自宅がみるみる片付いていった午後あたりに、依頼主さんの口からから当時のおぞましい光景がこぼれ出てきます。

そんな経験を元にして、今回はお昼の時間を傾聴に使うことにしました。

ボランティアが去った後、依頼主さんはご自身でこの後のことを考えて仕切って実行していく必要があります。しかし罹災して呆然としている高齢の方には、それは酷です。そして「このあとは何をすればいいのでしょうか?」という質問をボランティアが受けることになります。

聴くこと以外に私が出来ることは、ニーズ票に挟まれていた「水害にあわれたときに」という両面印刷された紙に記された、事後の消毒や衛生管理についてを読み上げることぐらいでした。


どうすればよかったのか


傾聴している最中に他のボランティアの方が、リーダーさんちょっと、と呼びに来ました。外に出てみると、私たちサテライトに戻ります、やることないですから、と言われて現場を去って行かれました。

急いで私も依頼者さんとのお話を終わらせて、ご挨拶のあと現場を後にしたのですが、ひとつの複雑な思いが心をよぎりました。それは、他の方も加えてお話を聞いた方が良かったのではないかということです。

他の方々は近隣からいらっしゃっていたので、私よりは現場により近くより身近に感じてらっしゃったのではと思います。現地まで60キロの私よりは被災地意識は高かったのではないかと推察します。そうした背景を理解したうえで、せっかくボランティア活動に来たのだから、少しでも多くの現場に足を運んで復旧のお手伝いをしたいと考えるのは当然のことでしょう。当日も待ち時間がが長くて、作業開始も遅くなりました。そのうえ午後2時30分には現場を切り上げるようにと、ボランティアセンターからの指示も出ていますので、一日で出来る時間は限られています。


選択肢はふたつ


選択肢は二つあります。サクッとやることだけやって次の現場へ行くこと。そしてもうひとつは、被災された方の心に寄り添うこと。私は後者の方を選びました。それがこの4年半のボランティア活動で学んだことだったからです。

また、周囲の復旧具合から、緊急にやらなければいけない個所が沢山あるようには見えなかったのも、判断材料のひとつでした。道路には廃棄物が積み上がっていませんし、消毒石灰も撒かれている。壊れたクルマにはマーキングしてあり、路上の清掃も終わっている。そんな状況でした。

残念なのは、その心に寄り添うという行為を同じグループの方と共有できなかったことです。狭い、床板すらない室内に他の方も呼んで一緒に食事をとりながら聴いてもったほうがよかったのか。リーダーとしては悩むところです。

同じグループの方々も被災者さんより若いと言えども高齢者です。老人の話は聞きたくないかもしれません。また、彼らの年齢から被災者さんを見る見方は、それよりだいぶ若い私が見えるものとは違うのかもしれません。

それを感じたのは「リーダーさん、大変でしたね」の一言でした。そこには被災者さんの心に寄り添うというものが感じられませんでした。それを感じてもらうように、リーダーは配慮すべきだったのではないか、そういう思いが帰り道の頭から離れませんでした。

リーダーと言うのは難しい。たった4人のグループですら難しい。そんなことを学ばせてもらえたボランティア活動でした。



ではでは@三河屋幾朗


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